足利の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

栃木県足利市歴史探訪

足利市の概要
足利市は、栃木県の南西部の最も端に位置し、群馬県と隣接しています。日本最古の大学「足利学校」をはじめ、足利氏ゆかりの「鑁阿寺」など数多くの文化遺産を残す街並みと、市の中心部を流れる渡良瀬川の清流、北に連なる緑の山々など自然に恵まれた歴史と文化の街です。

足利のあゆみ
足利の地に関係の深い、足利源氏の起こりは平安時代後期、八幡太郎義家が前九年の役、後三年の役で活躍したことから始まります。その後、義家は下野守となり足利の地を治めました。義家の三男である義国が下野国足利郡を開発し、足利庄、梁田御厨として統治すると、その子、義康のときにこの土地の名である「足利」姓を名乗ったのが始まりとされています。
その後、鎌倉時代の執権北条氏との関係を深め、足利家8代目となる尊氏が新田義貞らと共に鎌倉幕府を滅ぼし、京都に室町幕府を開いたことは有名です。

国内最古の学校といわれている足利学校が歴史の表舞台に出てきたのが、この頃です。関東管領上杉憲実は書籍を寄進し、学長制度を設け、自ら初代校長として学校を整備しました。そして、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルから「坂東の大学」として世界に紹介されました。

戦国、江戸時代の市域は足利長尾氏、戸田氏が歴代藩主として、市域を治めていました。
明治に入り、廃藩置県によって市域は足利県になり、その後栃木県となります。この頃、市域は繊維産業で隆盛を極め、繊維の出荷高が全国一となり、織物のまちとして躍進しました。その後、東武鉄道の川俣〜足利間が開通し、1921年足利市が誕生しました。
現在の人口は約16万人ですが、人が都会へ流れるなどの人口減少が深刻な問題とされており、「北部地区開発」「リゾート開発」や情報インフラの整備、地方分権の推進を進めるなど、都市発展に努めています。


足利の名前の由来
『古事記』に出てくる倭建命(やまとたけるのみこと)の御子、足鏡別王(あしかがみわけのきみ)がこの土地を治めたという言い伝えから、「足鏡」という言葉が転じて、「足利」となったといわれています。


足利の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
足利学校遺蹟図書館
住所: 〒326-0813
栃木県足利市昌平町2338 [地図を見る]
電話番号: 0284-41-2655
開館時間: 9:00〜16:30(4月〜9月)、9:00〜16:00(10月〜3月)
休館日: 第3月曜日(祝日・振替休日のときは翌日)、年末年始(12月29日〜1月3日)、その他(管理上やむを得ず休館することがあります)
入館料: 一般400円(330円)、高校生210円(160円)
※()は団体料金、中学生以下・身体障害者は無料です







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